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私の三大ニュース [人生]

2014年12月30日(火)

年末になると、メディアでは、今年の○大ニュースなどが発表されるけど
私個人では、三つの大きな出来事があった。

その第一は、今年の前半かけて映画「標的の村」の上映の取り組みだった。
リタイヤ組の2夫婦と6人の個人で取り組み、大成功させた。

第二は、私の写真展を8月から11月にかけて京都、東大阪、大分で開いたこ
とだった。

第三は、私にとって最も大きな出来事だったが、わが母が永眠した。
これは大きな衝撃だった。
それは、98歳の誕生日を3日後にしての旅立ちだった。
母は、私にたくさんの思いと後悔を残して逝った。
でも、最後に親不孝を許してくれた母に、感謝を献げたい。

葬儀に駆けつけた、母の生家の跡継ぎさんから、母の結婚前の写真を
一枚いただいた。
母の21歳の写真を見るのは、初めてのことである。
そのころ母は、近所の子供達の世話をしていたという。
写真は、その子供達と母の父親の引くオルガンに合わせて、
ラジオ体操をしている若き日の写真である。

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私の知る母は、結婚後の大変な苦労の中で生きてきた母の姿しか亡かった。
この写真をみて、なぜか救われたような気がした。
このようにうれしそうな母の姿が、あったことに安堵したのだ。
で、渾身の力で、母のアルバム「母を偲んで」を作った。
ハガキ大の写真で200枚のアルバムである。

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鎮魂のアルバムだと思っている。
母の霊前に献げた。


妻のプレゼント [人生]

2014年12月29日(月)

久しぶりに暖かないい天気なので、ご近所散歩をした。
金戒光明寺では、墓参りの方々が意外と多くいて、お墓の掃除などをしていた。
累々と墓石の並ぶ墓地の中を通り、真如堂に抜ける。
境内は、シンと静まりかえり、あの紅葉の人出が嘘のようである。
のんびりと二人でそれぞれ読んだ本の事などを話し合いながら歩くと
時間の経つのが早い気がする。

僕は昨日、梅原猛氏の『親鸞「四つの謎」を解く』という本を読み終えた。

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梅原氏がいう四つの謎とは、
1. 親鸞の出家の謎
貴族の長男として生まれ、将来の身分が保障されているのに、なぜわずか
九歳で出家したのか。
2. 法然門下に入った謎
比叡山でその才能を認められ、しかも慈円という実力のある僧の弟子として
比叡山での出世は、約束されたようなものなのに、当時無位無官の乞食坊主で
ある法然の門下にはいったのか。
3. 結婚の謎
 僧が公然と妻を持つというそれまでの仏教の伝統を覆す事をした謎。
4. 親鸞の悪の自覚の謎。
 親鸞が自らを大悪人と同一視するほどに「悪」、すなわち罪悪感を自覚して
いた事に対する謎
である。

私も、以前から、このことを疑問に思っていたので、梅原氏の本が出たこと
を機に早速購入したのである。
もとより私の一番の疑問は、第四の謎、悪についてであった。

読み終えて、1から3までの謎の解明には納得が出来た。氏の研究姿勢や視点
についても、大変勉強になった。
この本は、確かに氏が親鸞と同じ90歳になったことで書いた物であると言うが
そのエネルギーにも敬意を表したい!
が、第四の謎については、どうしても受け入れがたいのである。

梅原氏は言う。
"私は再三『教行信証』の「信巻」を読んだが、それはまさに『教行信証』の
もっとも重要な巻であると思った。『観無量寿経』と、浄土教以外の『涅槃経』
までも引用し、必死で阿闍世を救済しようとする親鸞の気持ちが切々と伝わっ
てくるようであった。
 阿闍世王に対する親鸞の思いやりは実に深い、その部分を語っている親鸞は、
あたかも自分が阿闍世と一体化し、自らが親殺しの悪人であるかのようである。
これを読みながら、私は思わず戦慄を覚えた。
 どうして親鸞は、これほどまでに父親殺し母親殺しの悪人を、自分と同じで
あるかのごとく感じているのか。私は何度も『教行信証』を読んだが阿闍世を
限りなく自己同一化しようとする親鸞の「悪の自覚」の深さにその度ごとに驚
かされた。そして、これはまったく異常なことのように思われた。
 このような親鸞の「悪の自覚」の深さは、親鸞の人生といったいどのように
関係するのか。"

私もそれに同感であるが故に、梅原氏の、この謎の解明には、納得がいかない
のである。
もっと別な原因があるのではという思いがこみ上げてくるのである。
で、梅原氏が、この点をさらに解明していただけるとうれしい限りである。

このような親鸞の深い「悪の自覚」は、理論の上のことではなく、親鸞自身が、
自らを制御できないほどの大きな力が、心の奥底から彼をして、揺り動かして
いるものでなくては理解できないし、納得できないのである。
それは、一体どのようなものであるのか。
これこそが、親鸞を本当に理解する上での基本ではないかと思うし、
それなしでは、浄土真宗の真の理解に必要なことではないかと思った。

ところで、ころりと話は変わるが、どうしたことか妻がクリスマスプレゼント
をしてくれた。
室内用のスリッパなんだけど、これが大変暖かい。
おまけに、彼女は、それに可愛い動物のアップリケをしてくれていた。
なんともうれしく、感謝感謝です。

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僕もお礼に彼女の好きな吉村昭の本を4冊プレゼントした。


故郷でのお盆に思う! [人生]

2013年8月19日(月)

久しぶりに故郷でお盆を過ごした。

お盆の期間は、僕が夕方6時、鐘楼に上り、鐘を打つ。

13日、夕日が空を染め始めるころ、

家々の門には、迎え火が焚かれる。

先祖の霊を迎えるためである。

子供たちに賑やかな話し声も、あちこちの家から聞こえてくる。

日頃、静かなこの山村が、生きがえったようだ。

僕は、ろうそく、線香、水を持ってお墓参りに出かけた。

我が家の墓地は、2か所にある。

まずは、裏山の墓地に息を切らして訪れた。

他家のお墓も含めて、数百近い墓石が並んでいる。

子供の頃は、この時間、墓地は多くの人であふれていた。

ここでご近所の家族ぐるみの交流が行われていた。

帰省してきた街に出た家族は、ここで紹介されていた。

町の話もここで聞けた。

墓地には、線香の煙が一面に広がり、

浴衣姿に団扇をもった子供たちの声で賑やかであった。

墓地は、まさに地域の交流の場でもあった。

が、今は、人影もなく、訪れた僕だけが墓地にいる。

たくさんの他家の墓地は、一部は放置され、

一部は、まとめられて積まれている。

大きな墓石に代わっているところもある。

今では、他家のこの墓地の先祖は、みんな寺の納骨堂や

家の近くに個人の納骨墓に納められて、誰も墓地を訪れない。

我が家の墓は、昔ながらの一人一墓のままである。

50ほどの我が家に墓一つ一つに線香を供える。

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さわやかな風が、墓地を覆うように茂った木々の枝を揺らし

さわさわと音を立てて過ぎて行く。

耳をそばだてて、聞いていると

先祖がなにか囁きかけているような気さえする。

人の姿のない墓地は、やはり寂しい。

墓参を終えて、山を下りる。

夕焼け空が広がっている。

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棚田の道を再び上り、谷向こうの丘に登る。

ここに2つ目の墓地がある。

ここに立つと我が家が眼下に一望できるのだ。

ここから遠く祖母山、傾山の頂が見える。

僕の祖父母の夫婦墓もある。

墓参りもたっぷり一時間以上かかるのだ。

墓参を終えると、もうあたりは闇に包まれていた。

16日には、再び家々の門で送り火が焚かれる。

でも、最近は多くの家で送り火は15日に行われるという。

理由は、帰省した人たちが参加できるように早めたのだという。

でもやっぱり、これもなんだか寂しい思いがする。

留守しているカフェ&ギャラリーkazeでは、

猛暑の中、浦さんが、お盆も休まず、テラスの補修に精出してくれた。

おかげで、テラスを磨き、塗料を塗ってくれて、若返っている。

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昨日、畑ガールさんもkazeにやって来たという。

主が留守でも、kazeは、元気なようである。

花たちも、この雨のない日々にも、水をもらっているようで

ありがたい限りである。

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支えてくださる方がいるということは、本当に幸せです。

感謝!

 

 


心の中では、生きている。 [人生]

2012年11月17日(土)

朝6度、雨!
この天気のように僕の頭もシンシンして、めちゃ眠たい。
睡眠不足で眠たいのではなく、禁煙の禁断症状のようである。
おまけにおなかもゆるい、めまいがする。
気力減退!

昼になっても、暗雲が垂れ込めて、暗く、雨が降り続いた。
時折、強風も加わり、木立の枝から、枯葉をもぎ取り、
空に巻き上げていた。

Kazeは谷間にあるので、風の動きは一様でない。
その複雑な動きは、薪ストーブの煙突の煙の動きで分かる。
山から吹き降ろしてくる風と谷から吹き上げる風がせめぎあっているのだ。

こんな日は、訪れる人も少ないので、僕は読書!
晴耕雨読に徹することにした。

先日、百万遍の古本市で見つけた田中勝也氏の「サンカ研究」を読む。

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僕は子供の頃、このサンカと呼ばれる民(九州ではカンジン)を身近に
見てきたのであるが
両親や近所の人は、彼らに近づくなと、子どもたちに言っていた。

彼らは、毎年、稲刈りが済んだ頃、やってきて、山辺に小屋を編んで住み
春になると何処かへ去っていった。
大人たちは彼らのことを「カンジン」と呼んでいた。

子ども心に「カンジン」=「乞食」というイメージを持たされていた。
が、僕は彼らが物乞いしている姿はついぞ見たことがなかった。

彼らは、籠や笊などを一杯持って、農家に売りに歩いていた。
しかもその着ているものは、男は洋服のような物で
女は粗末な和服だった。服の布は、ひざあたりまでしかないのだ。
一見して、近所の人でないことが分かるのだ。
それで、僕は彼らの生活が知りたくて
ある日、彼らの家の近くまで行ってみた。

その住居は、田んぼの広がる山際にあり、田んぼと住居の間には
小川が流れていた。
その田んぼの土手に立って、眺めた。
同じ年くらいの子どもが住居の前の川原でしゃがみこんで何かしていた。
僕に気づいた子どもが、僕に面白いもの見せてやるから来いというのだ。
で、恐る恐る川を渡って行った。

彼の言う面白いこととは、魚を取ることである。
彼は、川面を身動きもしないで、眺める、やがて突然すばやく
水の中に手を突っ込み、なんと素手で魚をつかみ取るのだ。
「お前もやってみろ」とコツを教えてくれるのであるが
一匹も取ることが出来なかった。

それから、住居の中も少し見せてくれた。
岩穴のようになった崖に竹を柱にして、葦のようなものを編んだ囲いが
してあるだけの住居の中は、薄暗く、
中央に囲炉裏のようなものがあり、上からつるした竹にやかんをかけ
囲炉裏の中央につるしてあった。

僕はキョロキョロしていると、まもなく、彼が親が帰ってくるので
お前は帰れというので、帰ることにした。
外は、木枯らしが吹き、夕闇が迫っていた。
あぜ道を走って帰った。

彼らとの出会いは、たったそれだけだった。
僕は、彼ら親子が夜、電灯もない、暗く何もないあの住居で
暖炉を囲み、楽しそうに語り合う姿がリアルに想像できて
温かな家族がうらやましく思えたのだ。

あの頃から、人の幸せは、金や物ではなく、家族の愛だと思っていた。
なぜかこの年になっても、忘れられない記憶である。

日本にサンカとか、カンジンとか呼ばれる漂白の民がいたことを
僕は信じるし、彼らが犯罪者集団や不貞の輩ではなく、農業用品等の
手工業で生業をしている善意の人々だと信じて疑わないのだ。

今では、サンカと呼ばれる人たちは、消滅したという。
でも、僕の心の中では、生きている!

 


あれから60年! [人生]

2012年6月30日(土)

朝24度、晴れたり曇ったり、一時雨!
晴耕雨読の一日だった。
庭の花たちを眺め、読書にふけった。

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                       (ヒペリカム)

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                         (オカトラノオ)

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                       (ホオズキ)

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                         (カタバミ)

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                        (丸葉万年草)

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                        (レッドドラゴン)

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                  (西洋のこぎり草)

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                       (ウコギ)

坂上遼氏の「消えた警官 ドキュメント菅生事件」を読み終えた。
推理小説を読んでるような気分になる力作である。



この本の菅生事件は、1952年6月2日にわが故郷の近くの村、
大分県直入郡菅生村(現在の竹田市菅生)で起こった
公安警察による自作自演の駐在所爆破事件である。
今年6月10日、現地で菅生事件の記念碑の除幕式が行われた。
毎日新聞記事
大分合同新聞
西日本新聞

事件勃発後60周年を記念しての石碑である。
当時事件を担当した主任弁護士清源敏孝氏の著書
「消えた警察官-菅生事件の真相-」(現代社)の序文で、
かの有名な正木ひろし弁護士が次のように書いている。

序文
  管生(すごお)事件は、モノスゴイ事件である。
ただの誤判や冤罪の事件ではない。
その性質、その規模(きぼ)、その悪魔性において、ナチス独逸(ドイツ)の
国会放火(偽装)事件、満州事変の口火を作った柳条溝(ろじょうこう)事件の、
日本国内版とでもいうべきものと思われる。
小型ではあるが、手はもっと混んでいて、かつもっとインケンである。
 日本のジャーナリズムの一部は、当初から、この事件の隠謀性を嗅ぎつけて
いたにちがいない。
それを暗示した1952(昭和27)年6月3日の毎日新聞(西部版)の
社会面の記事がなかったら、この事件は永久に闇の中にほおむり去られて
しまったであろう。
 本書の著者が、毎日新聞の記事によって、本件がおそるべきデッチ上げ事件
であることを直感し、直ちに大分拘置所に被告人たちを、訪問したことに対して、
私は人類の一員として絶大の敬意を感ずるものであるが、その意味深長なる
一文をものした和田毎目記者にもまた、無限の感謝を感ずるのである。
 戦前であったならば、こういった事件は、すべて掲載禁止であり、
官憲の不正は徹底的にイソペイされた。
社会正義と言論の自由とが、不可分の関係にある証拠である。
 ともかく、今日の日本国民は、旧大日本帝国の臣民ではない。
また今日のジャーナリストは、東条英機に恫喝(どうかつ)された
ジャーナリストではない。
 東京の新宿で、仮面の(元)警察官(偽大学生)戸高公徳を発見したのは、
共同通信社の6人の若き記者諸君であった。
これは、まことに痛快な出来ごとである。6年間、犯人をイントクし、犯罪の
証拠イソメツをはかって来た本件の検察当局に、
われわれ弁護人たちは社会正義の保障を托することが出来ようか。
 戸高公徳ならびに、その背景をなす官憲は、本件の検察官と結托して、
偽証をつづけ、裁判所と世間とをダマそうとするだろう。
おそるべき国情である。
本書の出版は、被告人たちの自己防衛であると共に、
社会正義実現の好資料となることを信じて疑わない。
               弁護士 正本ひろし」

僕が、「消えた警官 ドキュメント菅生事件」に興味を持つのは、多少なりとも
この事件に触れてきたからである。
この事件で被告の一人とされた坂本久夫氏は、わが生家である寺院の
役僧だった人であり、消えた警官、市木春秋こと戸高公徳氏は、
生家の門徒さんである。

あれから60年が過ぎ、坂本氏は故人となり、戸高氏は異例の出世の後、
今も健在である。

先日、法事で寺に参拝に来られたと寺を継いだ妹が僕に伝えてくれた。
僕は、戸高氏に回顧録を書いてほしいと願っている。


2度とないからこそ大切に! [人生]

2012年3月20日(火)

朝マイナス3度、快晴!
朝の庭は、霜で白くなっていた。
が、朝日と共に、それも解けてしまった。
冷たい風が、肌に気持ちよさを引き起こした。

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春の兆しが感じられ、来店者もゆっくりくつろいでいく人が多かった。
中には、連れ立って1時間ほど散歩に出かけたグループもいた。

バイクの来店者も増え、
バイクの季節になったことを、僕らに教えてくれた。
が、彼らに言わせると、山を越えたら、空気が冷たかったといっていた。
花折峠の向こう側とこちらでは、大分気温が違うのだ。

雪が解けていくと、早速鹿がやってきて、我が物顔に庭を荒らしまわる。
玄関の花壇にあるカシワバアジサイの花目も無残に食い千切られてしまった。

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更に悔しいことに、これ見よがしに、あちこちに糞をたっぷり!
憎らしいことこの上ない。

ご近所の池田さんご夫妻がお孫さんを連れて、来店してくださった。
池田さんのおうちでも、鹿に悩まされているという。
大切な鉢植えの植物を鹿から守ろうとガレージの奥に隠しておいたのだけど
綺麗に根こそぎ食べられてしまったと奥様はプンプンである!

ところで池田さんのお孫さんは、この春から高校生なのだが、女性剣士!
なんと2段だそうである。
脱帽です!

自分が中学生の時、何をしていたかと考えてみた。
中学一年は、バレーボール部。
だけど、今と違って9人制のバレーボールだった。
僕は左利きなのでか、ハーフレフトだった。
アタッカーなのだ!
だが、あることがあって、バレーボール部を止めた。

2年生になってからは、剣道を始めた。
まだ、剣道部はなく、剣道部を作るために先生が始めた私的活動だったが
6名ほどの生徒が賛同して練習を始めたのだ。
なぜか、すぐに腕が上達し、負け知らずになった。

が、思うことがあって、3年生では、図書室にこもってしまった。
図書室の本を片っ端から読んでいった。
全く意味がつかめず、わけが分からないのに読んだ本が
ゲーテの「ファウスト」だった。
今でも、理解できないのだが・・・・・(笑)

図書室の本に飽き足らず、父親の書棚から、勝手に本を持ち出して読んだ。
その中で、今でも強烈に印象に残っているのが、芥川龍之介の「歯車」
そして、のぼせ上がったのが、ドイツの作家、ヘルマン・ヘッセだった。

中学生時代は僕にとって、人生で一番心が激動した時代だったように思える。
人生が2度あるなら、中学生時代にタイムスリップしてみたいと思うが
人生に2度は、絶対ないのである。
一度きりしかないゆえに、貴重なのであると思う。


人生の応援歌 [人生]

2011年9月17日(土)

朝23度、晴れ、12時ジャストから大雨に変わり、雷が鳴り響く。
今日は、名村さんがこないだろうけど、念のため、少し早めに
ウエルカムロードのゲートを開いた。

ところが、名村さんの変わりに、開店時間きっちりに来た人がいた。
世間話に花を咲かせていたら、妻の大好きな曲が流れてきた。
ベット・ミドラーの歌う「The rose」である。
それを聴いて来店者も、この歌がなぜか好きになったという。
この店で何度か聴くうちに、そうなってしまったのだという。
で、妻の出番、この歌の話になった。

来店者の彼女が、この歌について、僕らに聞いてきた最初の人なのだ。
この歌は、確かに人生の応援歌だと僕も思う。
東日本大震災や福島原発被災者、大雨による被害者への応援歌としても
ふさわしい歌であるだけでなく、僕らにとっても応援歌だと感じている。

応援歌もいろいろあるが、この「The rose」が一番だと僕らは思っている。
それも、他ならずベット・ミドラーが歌う「The rose」が一番好きなのだ。

この歌は1979年のアメリカ映画 「 ザ・ ローズ 」の中で、
主人公のロックシンガー( ジャニス・ジョプリン Janis Joplin )を演じた
ベット・ミドラーが歌って有名になった曲である。

で、妻がその映画が見たいというので探し回ってDVDを買った。
でも映画の中で、どの場面でThe roseが歌われるのかと見ていたが、
全然出てこない。
ついに映画は終わってしまった。
「えっ?」と思っていたら、最後のスタッフなどの文字が流れだして
初めてこの曲も流れ出したのである。

それは驚きと感動を見ている僕らに与えてくれたのだ。

YouTubeで、いろんな人がこの歌を歌っているけど、僕らはベット・ミドラーの
歌うThe roseが一番好きなのだ。

この歌は、きれいな声できれいに歌うだけでは、似つかわしくない気がするのだ。

そこで我がkazeの庭に一輪だけ、今咲いているバラの写真と共に
このブログの読者にも聞いてほしいと思う。

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兄弟ブログ「風の詩」でも、すでに掲載しているので、
聴いた方もいると思うけど、再度、ここにも掲載します。

          The rose

Some say love it is a river 
 (愛は河だという人がいる)
That drowns the tender reed
 (若くて柔らかい芽をのみこんでしまう河だと)
Some say love it is a razor
 (愛は、鋭い刃物だという人がいる)
That leaves your soul to bleed
  (魂から血を奪い去る刃物だと)
Some say love it is a hunger
  (愛は飢えだという人がいる)
An endless aching need
 (満たされることのない渇望だと)
I say love it is a flower
  (私は、愛は花だと思う)
And you its only seed
 (そして、その大切な種が、あなたなのだ)

It's the heart afraid of breaking
 (傷つくことを恐れている心)
That never learns to dance
 (そんな心では、楽しく踊ることができない)
It's the dream afraid of waking
 (目覚めることを恐れている夢)
That never takes the chance
 (そんな夢では、チャンスをつかめない)
It's the one who won't be taken
 (誰も受け入れられない人)
Who cannot seem to give
  (それでは、与える喜びを知ることはない)
And the soul afraid of dyin'
  (そして、死ぬことを恐れている魂)
That never learns to live
 
(それでは、生きることの意味を学べない)

When the night has been too lonely
 (夜がせつなく寂しくなったとき)
And the road has been too long
  (そして道があまりにも長すぎると感じたとき)
And you think that love is only
 (また、愛は幸運で強い人間にしか)
For the lucky and the strong
  (やってこないと思ったとき)
Just remember in the winter
  (思い出して欲しい 厳しい冬の)
Far beneath the bitter snows
  (深い雪の下には)
Lies the seed that with the sun's love
 (暖かい太陽の愛を浴びるための種があり)
In the spring becomes the rose...
 (春には、バラの花を咲かせるということを・・・)


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エネルギーをもらった! [人生]

2010年9月25日(土)

朝16度、曇り、後晴れ。
朝食は、テラスではなく、初めてお庭で食べる。
妻は寒いといって長袖の上着をきこんでの朝食である。
あのしつこい暑さも去り、やっと秋の爽やかさがkazeにも帰ってきたのだ。

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畑の隅では、彼岸花が咲いた。
今年は、彼岸花も咲かないのではと心配していたが
ちゃんと彼岸を知っているらしい。
いつもは、「彼岸花か毒々しくていやだ」と言っていた妻も喜んでいる。

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今年は猛暑の関係か、雑草さえも、全く元気がないのである。
一人勝ちみたいに元気なのは、ススキ!
生命力旺盛である。
Kazeのススキ野は、ススキの背丈2m程になり、穂を揺らし始めた。

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「ポロ」を読んで感激したよというお客さんが数人来店。
その中で今年90歳になると言う人は、「ポロ」の中にある
「自分自身に宛てた手紙」に特に心を動かされたといって
自分の戦争体験や経営する会社が行き詰まり
自殺未遂をした体験などを話してくれた。

50代の男性も、「自分自身に宛てた手紙」のことを話している最中
突然、感極まったのか涙が出てきて、お絞りで顔中覆って拭いていた。
自分の経験とリンクして、こみ上げてくるものがあったのだろう。
「ポロ」がそこまで、心の琴線にふれることが出来たことは、
著者として、僕も感動させられた。
読者にエネルギーをもらった一日だった。

 


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書かずにはいられないことがある。 [人生]

2010年7月31日(土)

朝24度、曇り時々晴れ。
朝から暑いが、テラスには、風があり、涼しい。
朝食の準備が整い、二人で一口食べたら、車が3台入ってきた。
開店時間は、まだなのにと立ち上がった。
朝食中止!
戸惑っている僕らにお構いなしで7人のグループが、お店に入ってきた。
で、アイスコーヒーでよいというので、応じることにした。
やがて、もう一台入ってきた。
名村さんだ。
僕らのあわててる様を見て、「朝から来客はないと油断してたんでしょう!」と
ちくりとやられた。
図星なので、笑うしかない。
で、朝食は、それぞれ、合間を見て食べるしかなかった。

午後になると、さすがに気温も30度まであがった。
Kazeはエアコンがないので、扇風機と天井扇だけだけど、
自然が味方してくれて、風が吹いてくれるので、まあ、すごしやすい。
京都市内からきた人に「暑いねえ」というと「ここは涼しい」と言う。
7月にkazeが30度になるのは、初めてではないかと思う。
確かに今年は、早くから暑い!

しかし、鹿が荒らした玄関の花壇では、植物が息を吹き返してくれた。
暑さにめげずバコパが白い可憐な花を咲さかし続けている。

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茎しかなかったにミニバラに一輪花が咲いた。
まさに花の名前のように「一番星」の感がある。

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その横の鉢植えのミニバラにも、新しくつぼみが膨らんできていた。

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なんだか、うれしくなった。
鹿から守ってやらなければと、肝に銘じる。
鹿は、花そのものは食べないのかと思っていたが、納屋の横に一輪咲いた
赤いバラの花が、昨日kazeに来ると食べられてなくなっていたのだ。
鹿に食べられても、食べられても、花を咲かせようとがんばるバラたちの姿に
感動さえ覚える!

それに比べて、自分の子供を身勝手に放り出して餓死させる人間の母親は、
くずだ。まさに人間失格者だ!
大阪で30日にわかった2児遺棄事件のことである。
また、通報を受けても、いい加減な対応しかしなかった
大阪こども相談センターの職員には、怒りさえ感じる。
所長は「特段の対応はしていなかった。3回目の通報以降、
安否確認をしていないことには、反省も後悔もしている。」だって!
インターフォン鳴らすくらいは、誰でも出来る。
通報の内容をきっちと確認できるまで、行動をとるのが、
公的機関の仕事だろうに。
そのための組織であり、職員が配置されているのではないのか!
警察とも協力し、部屋の中を確認していれば、
幼い二人の命を救えたはずではないか!
はっきり言って、職務怠慢もはなはだしい!

母親に見捨てられ、死んでいった二人の心情を思うと
胸が張り裂けそうな気分になる。
僕にはとても、人ごとに思えないのだ!
母親に捨てられる子供がいることぐらいセンター職員なら、
知っていたはずである。
過去の事例では、映画にもなっている。
是枝裕和監督の「誰も知らない」がそれだ。
彼は「演出ノート」で「この映画のモチーフになったのは、一般には
『西巣鴨子供4人置き去り事件』と呼ばれるものである。」と明言している。
2004年のカンヌ国際映画祭で大絶賛を浴びて、主演の柳楽優弥(やぎら ゆうや)
君が日本人初、カンヌ史上最年少の最優秀男優賞を受賞し、
日本でも一躍有名となった映画だ。

こども相談センターの職員は、通報があった時点で、
"子供置き去り"ではと、疑問のひとつも感じなかったのであろうか?
これまで、僕は、このような事件などについて、ブログには書かないできた。
でも、今回の事件だけは、どうしても書かずにはいられない気持ちになった。
二度とこのような事件を見逃さないように、して欲しいと思う。

 


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なお押し寄せる悲しみの連鎖 [人生]

2010年5月5日(水)

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朝15度、快晴!
早朝、訃報が届いた。
今朝6時34分、僕の妹が逝った。
覚悟をしていたとはいえ、
僕にとっては早すぎる妹の永眠に胸がふさがり、悲しみがこみ上げてくる。
悲しみの連鎖は、僕を離れないのだ。
しかし、なぜかこういう日に来客は連休中最多だった。
開店時間前からグループの来店、途切れることなく続いた。
妻の妹二人が手伝ってくれていたので、本当に大助かりである。
閉店後、急いで片づけをして、京都に向かった。

 


タグ:訃報 悲しみ
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